【指導員の試験対策】スキーの歴史Part3<現代のスキー>

zuka

こんにちは。
zuka(@beginaid)です。

いまやカービングターンが主流になっているスキーですが,歴史はとても古く伝統的なスポーツです。「歴史」と聞くと,なんだか勉強のような印象を受けるかもしれませんが,どのような経緯でスキーのスタイルが形成されたかを知ることは,現在のスキーを理解するうえで必須の知識になってきます。

さらに,指導員の取得を目指す皆さんであれば理論の勉強もしなくてはなりません。そこで,スキー教程を参考にしながらスキーの歴史をまとめていきたいと思います。本記事はPart3(現代のスキー)になります。全体のまとめは,以下の記事をご覧ください。

デモデーモ博士

今回はスキーのスタイルがどのようにして現在主流の「カービング」になったかを話すぞい!

パンサーくん

カービングっていつ頃から登場したのかな?

デモデーモ博士

それもしっかり話すから安心しておくれ。

目次

ローテンションと外向の対立

世界と日本におけるスキー技術理論の変化

アールベルグスキー術を高速域に対応できるように発展させたテンポパラレルシュブンクは,立ち上がり抜重とローテンションを基本原理としていました。しかし,1933年にオーストリアのトニイ・ドウチアとクルト・ラインルによって外向・外傾を主張する「今日のスキー」を発表したことにより,アルペンスキーの技術はローテンションを否定する方向に向かいます。

ミュンヘン大学のオイゲン・マティアス教授とスイスのサン・モリッツスキー学校長ジョパニ・テスタもスキー障害の観点からローテーションを否定する「自然なスキー」を発表することで,ローテンション否定の流れに拍車をかけました。

1951年には第1回国際スキー教育会議(インタースキー)がオーストリアのツールスで開催され,各国の技術・指導法・討論・情報交換の場として今日まで継続しています。

1955年の第3回インタースキーでは,オーストリアのシュテファン・クルッケンハウザー教授により「今日のスキー」を独自に発展させた「バインシュピール技術」を発表し,世界各国のローテンション派と外向・外傾派の論争をさらに活発化させました。

バインシュピール技術はオーストリア・スキー教程の基礎となりました。

日本のスキー技術の発展

世界と日本におけるスキー技術理論の変化

日本では,ローテンションを基本原理とした「スキー・フランセ」とローテンションを否定した「今日のスキー」が同時期に翻訳出版されました。対立する2つの技術論が入ってきた日本では,後者の外傾技術に共鳴する研究者が多かったことから,1947年には外傾技術を基本とした「一般スキー術」が全日本スキー連盟のテキストとなりました。

しかし,ローテンション派も少なからず存在しており,1954年にフランスからピエールギョーとアンリ・オレイエが来日してフランス・スキー術の講習が行われたことで,ローテンション派と外傾派の議論が活発になりました

1958年には,オーストリアのルディ・マットが来日し,全国各地にオーストリア・スキー術を普及させました。当時のオーストラリア・スキー術は「バインシュピール(脚部の動き)」「ゲーゲン・フェルヴィデン(逆ひねり)」「フェルゼンドレ―シュープ(踵の押し出し)」を基本原理としており,日本ではこれらがリズミカルな動きに高められることで「ヴェーデルン」としてスキー術が確立されました。

1959年には,バインシュピール技術を基にした「SAJテキスト」が発刊されることで,オーストラリアスキー術が日本のスキー界の主流となりました。

1963年には,オーストリアからシュテファン・クルッケンハウザー教授がデモンストレーター2名と共に来日したことは,日本のデモンストレーター制度確立の礎となりました。1965年には,第7回インタースキーに日本は7名の代表団を送り込み,スキー大国としての道を歩み始めます。

1983年には,人間の基本動作であるバイベタリズムを基礎とした日本独自の指導法が提唱されました。1985年の国際スキー指導者連盟ウォカティ大会において,オーストリアのシュヴィンゲン技術と共に発表されることになります。

技術論争の収束

世界と日本におけるスキー技術理論の変化

1930年代から続いたローテンション派と外向・外傾派の対立ですが,インタースキーを継続していく中で,高速を追求するという究極の目的のもとで世界のスキー技術論は収束していくことになります。

1968年に行われた第8回インタースキーでは,従来のジャンプを使った切り替えから上下動の少ないすばやい切り替えが主流となりました。この技術は,オーストリアとフランスの技術を融合させた手法として,スキー術収束の先駆けとなりました。

1971年に行われた第9回インタースキーで発表された「曲げまわし・伸ばしまわし」は各国共通の技術であり,オーストリアのフランツ・ホピヒラーにより「新オーストリア・スキー教程」として融合技術が確立されました。新オーストリア・スキー教程では,ナチュラルスタンスでのシンプルな運動が基盤となっており,シュヴィンゲン技術として理論化されました。

ホピヒラーの技術理論は1991年の第14回インタースキーで発表され,世界に大きな影響を与えました。

1980年代は,交互操作とステップ系の技術が主流となり,1990年代にようやくカービングスキーが登場することになります。用具の発展に伴い,スキー技術論も大きく変化し,2003年の第17回インタースキーによってオーストリアによりパラレルカービングターン技術として発表されることになります。

日本における競技スキー

1979年には,アジアで初めて日本がインタースキーを開催しました(第11回蔵王大会)。その後は,日本の競技スキーはオリンピックや世界選手権・ワールドカップという大会と共に発展していくことになります。

1995年には,日本で2回目のインタースキーが開催されました(第15回の野沢温泉大会)

オリンピック

全日本スキー大会が初めて開催されたのが1923年のことです。日本選手が冬季オリンピックに初めて参加したのは1928年の第2回冬季スイス・サンモリッツ大会で,1956年の第7回冬季イタリア・コルチナ・ダンぺッツォ大会のスラロームでは猪谷千春が2位に入賞し,日本で初めてのメダリストが誕生しました。1972年の第11回冬季札幌大会の70m級ジャンプでは笠谷幸生が優勝し,3位までを日本が独占しました。

1990年代の日本のノルディック複合は大躍進を遂げます。1992年の第16回冬季フランス・アルベールヴィル大会(萩原,河野,三ケ田),1994年の第17回ノルウェー・リレハンメル大会(河野,阿部,萩原)で1位を獲得します。1998年の第18回長野大会では,ジャンプ・ラージヒルで船木知喜が1位,ジャンプ団体(岡部・斎藤・原田・船木)でも1位となりました。さらに,フリースタイル・モーグルでは里谷多英が1位となり,日本は史上最多となる8個のメダルを獲得しました。

世界選手権・ワールドカップ

1993年から1995年にかけて,ノルディック複合個人総合では萩原健司が史上初の3連覇という偉業を成し遂げました。アルペン種目では,1980年代以降は海和俊宏岡部哲也木村公宣らが,2006年以降は皆川賢太郎湯浅直樹が上位入賞を果たしています。

スキーの多様性

今日では,ファンスキーやテレマークに代表されるように,様々な形でスキーが楽しまれています。そのような中で,スキーの技術も多様化を重ねていて,指導者の教育と認定制度の重要性がますます高まっています。

日本で指導員検定講習会が開催されたのは,1939年の山形県五色温泉でした。1987年には,文部省が「社会体育指導者の知識・技能審査事業の認定に関する規定」を発表し,のちの2000年に「財団法人日本体育協会スポーツ指導者制度」に変更されました。

全日本スキー連盟は告示の変更に伴って認定法人となり,従来からの「全日本スキー連盟公認スキー指導者」に加え,社会からの要請である「日本体育協会公認スポーツ指導者制度によるスキー指導員・スキー教師」に基づいて認定制度を施行していくことになります。

指導理念の変化

2003年の第17回スイス・クラン・モンタナでのインタースキー大会のテーマは「スノースポーツの未来」でした。スキーという表現から,スノーという表現に変わったことは,指導理念の考え方には,より幅広いジャンルを見据えた発展が必要であることを示唆しています。

「モノ」から「心」へ関心が移っている現代社会では,「モノ」「人」「場」の変化(情報化への対応)という3観点が必要です。さらに,人・場を充実させていくためには,指導者は単なる技術の伝達者ではなく,楽しさ・喜び・価値といったようなスポーツの本質を発信することが求められています。

欧米のスポーツ・ヨーロッパ会議では,1975年に「みんなのスポーツ憲章」が定められ,イギリスのスポーツカウンシルでは「スポーツ・フォー・オール運動」などが見られます。日本でも,1961年に「スポーツ振興法」が定められることから裏付けられるように,高度情報化社会においてはスポーツを利用して,心の豊かさを維持していく必要があります。

まとめ

デモデーモ博士

お疲れさまじゃぞ!これにて歴史編は終了じゃ!

パンサーくん

スキーって,ずいぶん昔からあったスポーツなんだね!

人物まとめページでは,教程に登場する人物を簡単にまとめています。

[1] 日本スキーの発祥前史についての文献的研究, 中浦皓至, 北海道大学大学院教育学研究科紀要 84 85-106, 2001.
[2] スキー発達についての研究, 鈴木正, 一橋大学研究年報. 自然科学研究 9 31-66, 1967.
[3] 日本スキー教程, 山と渓谷社, 2018.

シェアはこちらからお願いします!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

※ Please enter your comments in Japanese to distinguish from spam.

目次